関西の四季を呟く

関西の四季や出来事を写真を交えてお届けします。

がんばろう 1.17

回想・1995年1月16日の日記を紐解く。

 仕事の帰り道。明石海峡大橋の建設現場に製品を納入後、芦屋から西宮にかけて、西の空一面閃光が走っているようで異様に見えた。細長い黒い雲が何本も連なり、近所の民家で飼われているいつもは激しく吠えたてる大型犬が、落ち着かないような素振りで何かに怯えているようだった。



 公園ではカラスの大群が身を寄せ合うようで、鳩の姿がない。三島由紀夫の「海と夕焼」の世界を延長したかのよう。大阪能勢町や兵庫県川西市北部での頻繁な微震がとても気になる。いつもと違う満月は真っ赤に見えた。






 夜中にトイレで起きた時、ベランダから西の空を見上げると、いなびかりのような閃光がしばし見られ、なぜか落ち着かない夜だな。


死期を想定して

 死期を想定して生きる。この季節にぴったりの言葉ではないだろうか。家族とか、仕事とか、想定しておきたいものはたくさんあると思うが、私が一つ挙げてみたいことは、仮に明日死んだとして、自分自身、後悔しないかどうかである。

 死んでしまえば「自分自身」なんて完全に消滅してしまうのだが、人間なんてわがままなもので自身を第三者の立場で考えるという妙な発想がある。
 「あの世」から自分の本心を眺めて観察してみたいものである。






 こみ上げる「明日への不安」を常に抱きながら、安物の赤ワインのコルクを引き抜く。やがて空になるであろうボトルの中に消えていくのは72歳の焦燥の冬の夜空。後ろを振り向くことは到底許されない。
 無意識だけが行動し、真の意識が遠くへと、行動を制御されていく。不安と焦燥感から抜け出すべく「抑圧された感情を発散させる出口」を見つけ出す行動は至難の業で、とても辛い。気休めに飲む。むろん、こんな夜がいつまでも続くわけではない。




PS・今日の村ゴン殿は立ち上がりが悪いな!!