関西の四季を呟く

関西の四季や出来事を写真を交えてお届けします。

緊急事態宣言2021


 箱根駅伝を最後に、正月三が日もあっという間に消えていった。母校の無様な結果に失望しながら、無駄な時間を過ごしたという感じ。家から一歩も出ずに、パソコンやテレビ、そしてアルコール漬けであった。



 唯一の変化は、孫たちが集金「笑」に来たぐらいだ。私は常に「時は金なり」精神で人生を送ってきたので、コロナ対策とはいえ、だらだらと時間の消費は性に合わない。戦後の復興に全力で取り組んできた親父がそうであった。「Time is money」いつも口にしていた。

 戦争を経験してきた大正生まれの人たちは機会損失ということをいつも気にしていたようだ。



Time is money
 私は、必ず訪れる「不条理な死」を見つめながらも、今生きている自分の人生をより対自の自意識「自分がこうありたいと考える自己像・目的」に見合うものへ変更していこうとする真理が、人間の生きる意味を形成していると断言したい。



 主体的な責任を担う自由(選択)によって、それとは異なる新たな状況に自分を拘束し直そうとする行動が重要かもしれないのである。





PS・・昭和から見ると平成・令和は正月は日常の延長ではないだろうかと感じてならない。
 たとえば昔の正月、近所の店は7日くらいまで閉まっていて家々もこころなしか静まりかえり、そのため食材などの買い出しも大晦日までに多めに買っていた。それが年末年始、恒例の「大いに盛り上がった一年の最大の行事」と位置付けしていた。
 「年末」という動と新鮮で限りなく透明な「年始」という静がはっきりとした「時間の区切り」は明らかに変遷としていた。



 しかし今はコンビニが24時間開いているし、時代が便利になったのは良いことだと思うが、「昔の不便さ」がついつい懐かしく感じてしまうではないか。
 正直言えば、何ら変わる物ではなく、「新年の抱負」というような特にやる気やモチベーションが新年になったからと言って湧くわけでもない。
 情熱があった頃の自分は新年が始まったら気合を入れていたが、最近物欲が減衰し、虚しさに拍車をかけている。
 コロナの終息はいつだろうか。

激戦区で味くらべ


 京都や神戸には「パン工房」などと冠したおしゃれなパン屋さんが軒を連ねる。
 特に京都はパンの消費量は全国一だそうだ。コロナが発症する数年前の10月、「二条城パン祭り」に参加したが何を食べようか迷っている間に売り切れてしまうほどおいしいパンがたくさんあった。



 ブリアン、進々堂、志津屋などはかなり有名で焼き立てのパンの甘い香りが古都の街に溢れんばかりに漂う。さすがに全国一だけあってそれを目当てにわざわざ京都まで買いに来る観光客が後を絶たないほどである。



 しかしながら、みなと神戸もパン文化は根強い。神戸市内のパン屋さんを紹介した「KOBEパンのまち散歩」という神戸市主催の取り組みがあるほど、パン文化が根付いた街。「KOBEパンのまち散歩」に掲載されているパン屋さんを探しては味比べを楽しんでいる。
 パン文化にも流行りがあって、神戸を代表するトミーズ、ルパン、乃が美などの影響でメロンパン、しおパン、クロワッサンブームが懐かしく感じた。