関西の四季を呟く

関西の四季や出来事を写真を交えてお届けします。

新聞のない我が家


 我が家では、おおよそ5~6年前から新聞を止めた。理由はほとんどのページを読む必要がなくなったのと読むのが面倒になったため。
 配達された「しんぶんし」が数分で「しんぶんがみ」に変化してしまうのは編集者に失礼と思うのである。「笑!
 以前は新聞というと「マスメディアの代表格的な存在」であったが今ではどうだろう。自分には必要ではない情報までも一方的に伝えられ反感する暇を与えない。
 インターネットの普及により「高度情報化社会」が進み、新聞は今では「セグメントメディア」に後退していると考えられるのだ。情報のわき役にしか存在感がないように思えてならない。


 今までは新聞といえば「社説」をどう解釈するか、私だったらこう書くのになあ、と私なりの勿論があった。
 最近では、新聞は若い世代に読まれず、テレビは視聴者離れを憂い、いくつもの雑誌の休刊が相次いでいる。
 コストがかかる、という理由で十分な取材費も出せず、ニュースを巡る環境は悪くなっていくばかりと誰もが思っているのだろう。本当に希望はないのか。
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 ネット全盛の今日、新聞メディアはエンタメ業界から「置き去り」にされているようにも感じる。
 ネットでは情報の共有という双方向性に優れているが新聞ではそういうわけにはいかない。さらに若者の活字離れがより一層新聞離れを加速化させているようだ。スマホやネットで自分に必要な部分情報を瞬時に取り出せるメリットは大きい。
 さらに毎日、全ページを読破する時間と暇がないのも確かで、内容も中立かつ客観的な報道に乏しいように感じてならない。インターネットの方が様々な意見や見解を見ることも新聞離れを誘発させる原因ではないだろうか。
あらゆる情報が乱立する中、新聞を隅から隅まで読む必要があるのか疑問に思ったのである。
 私が思う本来の新聞の役割は「特定な人に特定な情報であり、さらに細分化された情報のみが重要視される」と感じたことが新聞をやめた最大の理由かもしれない。

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