関西の四季を呟く

関西の四季や出来事を写真を交えてお届けします。

秋の夜に思うこと


 本当にあるのだろうか?「あの世」。死に目に遭遇した人の体験談は異口同音にして「暗いトンネルの向こうに一点の光明」「お花畑」の情景が浮かんでくるというのが一般的だ。


 外国でも同じような体験談を聞く。イエスキリストが出迎えたとか、アラーの神の導きがあったとか、宗教の違いはあるにせよ、臨死体験はだれしもするのかなと全く不思議だ。




 実は私も、死の淵から生還した経験を持つ一人。5年前、勤務中に起きた転落事故で、内臓破裂で出血多量、危篤状態が続いた時だった。


 私が覚えていることは転落して背中に激痛が走り数分間、横になって休んでいたが仕事が気にかかり、再び作業を再開したが、意思朦朧となり家内の姉夫婦の車の後部座席に乗せられて近くの外科医院に搬送され、即、CTスキャンの台に乗せられた。



  そして、院長曰く「緊急手術をしなければ生死にかかわる」と救急車のサイレンが聞こえたのが最後で、気が付けば兵庫医科大学病院(兵庫県・西宮市)のベットに横たわり、麻酔の副作用で「せん妄幻覚」に襲われている自分があった。輸血が必要で、息子、娘、家内の力で生き延びたのである。



 その時に夢の中で見た光景が暗闇の向こうにある不思議な光を放つ世界に近づこうとする自分と、それを阻止する家族の姿があった。

 「三途の川」を渡る前に家族に呼び戻されたのである。腎臓を摘出、肝臓、膵臓の一部は機能せず、大量の出血で生死を彷徨ったと息子から説明された。



 学生の頃、精神学で「テッド・バットラー」や「ビッグス、ホプキンス・スピリチュアリズム」などの幻想心理学を勉強したが,「たかが妄想ではないか?」の印象があっただけである。


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 「」という存在を確立しなければ「あの世」は語れないと、再認識したのである。

スマホ時代


 スマホ。今では持っていない者は変態と言われるくらい普及している。
 それはすでに体の一部として機能し、五臓六腑+スマホというようにいつも体にへばりついており、万が一そこになかったりすると、思わず内臓の一部が喪失して、身体障害者のような錯覚に落ちいった気持ちになる。




 もはや体の一部に細胞化している。故に今どきの子供たちはスマホ文化に陶酔して漢字を読む能力が欠如していると感じた。




 月極を「げっきょく」と読んでいた。さらに香具師「やし」や行灯「あんどん」すら読めないのである。踏襲「とうしゅう」や逆鱗「げきりん」は高校の入試によく出てくる問題であるがほとんどの子供らは読めないのである。




 そういう愚痴をこぼす私も実はあまり漢字の読み方は苦手である。「漢字検定1級」だった・・・・が、今はすっかり忘れレモンすら漢字で書けない。一体何を勉強しに学校に行っていたんだろうかと自問する。「汗



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其生育如何は自問して自答に難からざる可し



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PS・・昨年の京都高台寺の秋・・・今年はあと一週間もたてば見頃かもしれないな!!