関西の四季を呟く

関西の四季や出来事を写真を交えてお届けします。

無言の空間


 たたみ半分ほどの四角い箱に閉じ込められた瞬間、目のやり場がない。しかも若いご婦人。目は合うが、かわす言葉もなければその場の空気が異様に感じる。私はなるべく背を向けて小さな箱の隅に立つ。



 瞬時に代わる次元、脳の誤作動、脳の錯覚、「デジャヴ」の世界に遭遇したようだ。



 暗黙の了解とは?コミュニケーションとは?何だろうか。互いの意思を疎通するにはあまりにも急変すぎる。
 前触れがないのである。あらゆる孤独が集中する一瞬ではないか。



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 エレベーターに乗ると人は皆、無口になる。パーソナルスペースが侵されるのだろうか?




 「いつ、この空間から逃げられるのか・・・口を塞ぎ、目を塞ぎ、耳を塞ぎ。のがれよ自身の孤独の中へ。強壮な風の吹くところへ」



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 数か月前、この箱の中で恐喝事件があった・・・・・「怒」
我が家に・・・避けては通れぬ箱である。

晩秋の思い

 紅葉はまだというのに、厳冬に向けての心の委縮に不安が生じてしまう。
 失いかけた昔をしみじみと回想しながら「オールドパー」の栓を抜く。
 シングルモルトが心の隅々にまで染み渡り、ほんのりとそれはまるで手術の際の麻酔が効きだした時と重複して自身を怠惰な現実から逃避させてくれる。足元がふわーとして麻薬だ。



 自身の内面に隠された投影されない人生の永劫・・・徐々にではあるが、不思議に変化する。その一瞬の変化の一つに「あの時、ああすれば良かった。」と口癖に過去を思い出してしまい、しかも辛く悲しいことばかり浮かんでくる。



 それは、少年期から、思春期に。そして青年期になろうかとする自身の人生70年のほんのわずかなとても短い時間帯だが、私にはほとんどを費やしたように思えてならない。あの頃の人生は現在よりもとても長く感じてしまう。



 今であれば修正可能な出来事ばかりが浮かんで仕方がない。そんな過去へ置いてきた忘れ物を取りに行きたいと常に思うのである。


 隔世之感ではあるが、今更ながらと笑われてしまうような思い出が詰まった「玉手箱」を取りに帰りたい。



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 中身が空っぽになれば、ただの瓶。すべてを失ったような錯覚だ。「感傷的な秋」はとても切ない。