関西の四季を呟く

関西の四季や出来事を写真を交えてお届けします。

お昼の「お弁当」

 このところ1か月はコロナの影響で仕事場はガラガラで自宅待機状態である。貧乏暇なしは大間違いで朝から晩まで家でごろごろ「大型ごみ」扱い。・・収入は激減し夜逃げ寸前である。…汗


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 仕事に出るときは昼の弁当に缶詰めをよく持っていく。私は数年前の胃がん摘出手術でほとんど胃がないため、弁当の中身は確認するものの、ほとんど手を付けずに家に持って帰る。食べられない。



 朝早く起き、せっかく作ってくれた家内には申し訳ないが、食が進まない。家に持ち帰った弁当箱を洗う家内の後ろ姿に低頭平身と感謝しかない。


 さらに先日の血液検査で「亜鉛」が足らないためか味覚がはっきりせず、「美味しい」という感覚がなく「おかず」のほとんどを残してしまうので、家内も苦渋の末、缶詰めをおかずのレパートリーの一つに加えてくれた。・・・・何故か新鮮で食が進むようだ。




 「缶詰」は保存食品の入れ物という本来の役割よりも、どんな中身だろうかと空想し、蓋を空ける瞬間の魅力の方がたまらない。


 子供の頃、「おまけつきグリコ」の景品の中身を、逸る持ちを抑えながらおそるおそる開ける期待感に似ている。当時が懐かしいと感じた。


 カミュ的な発想で大げさかもしれないが、
缶詰」は、時間を凍らせる働きは当然だが、それだけではない。空間をも操り時間という尺度を完全に分断するマジック缶ではないだろうか。それは、缶材がモノと光を遮断するからだ。



 ガラスびんと違って透けていないので中身が全く見えない。
特に魚の缶詰めは、缶の内に潮の香りのする大海原の世界を丸ごと閉じ込め、それとは対照的にコロナ渦中、漠然とした不安を抱く外の世界とで完全に二つに分断する。



 空腹感と緊張感をもって蓋を開けた瞬間、何か特別新しいものを発見したかの如く、何か得をしたかのように覗き込む。新鮮な空想ばかりが湧いてくる。・・・・童心に帰ったようだ。

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