関西の四季を呟く

関西の四季や出来事を写真を交えてお届けします。

若き日のときめき・・2  

 学生時代「昭和42~3年頃」。池袋にある純喫茶「上高地」に大学の先輩に誘われて学生運動の新聞の原稿の打ち合わせで懇談中、偶然にも別の会合だろうか、半年ぶりに彼女らのグループと遭遇した。彼女の容姿は進学塾当時とではかなり別人で、赤い口紅が印象的だった。 直感して東大安田講堂紛争の主力メンバーと悟った。
 懇談も終わり冷めて澱んだ珈琲を飲みほしながらぼんやり外を眺めていた時、彼女から一言「明日の晩ここへ来るから」と言い残し先に席を立っていった。・・前回


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 あくる日の夕暮れ時、神楽坂にある「東京理科大学」の友人、そして「上智大学」「お茶の水女子大」の高校時代、同級生だった女史と久しぶりの会話に一喜一憂し再会を約束して、地下鉄で池袋へ向かったことは薄ぼんやりと記憶している。当時は70年安保でキャンパスは大荒れし派閥争いが絶えなかったので、その印象はかなり強い。


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 そんな最中、半信半疑で池袋・純喫茶「上高地」で1時間近く待たされていると、半年ぶりの彼女が「ごめん!待った?」と言いながら息を切らしてテーブルに荷物を置くや否や「タバコが吸いたい」と言い出し塾当時とでは「東大生=熱誠」ではなく「彼女の人格には二面性がある」と赤い口紅をみて感じたのである。タバコを吸わない私にとって、粗慢極まりない下品な女の舞いであった。


 
 これが「偏差値75」の容姿かと疑うぐらいの変貌ぶりだ。私に映った彼女像は入試という精神的重圧の緊張感から一気に解放された一種の精神混濁(意識障害)と感じた。



 しかし、話を進めていくと、東大本郷キャンパス安田講堂において「東大紛争」に巻き込まれ、組織の内ゲバの標的にされ毎日が憂鬱で勉学に意欲をなくし、アグレッシブな女性という印象とは程遠い、形勢一変しているようにみえた。


 最大の原因は付き合っていた先輩が学生運動をばったりとやめ、長くした髪をバッサリと切り、七三に分けスーツにネクタイ姿で「大蔵省」に入省内定されたからもう君とはかかわりがないといわれたそうだ。自分の置かれている環境に挫折したのだろう。


 そんな些細なことで心が揺らぎ、私に距離を詰めてこられても迷惑気回りないし「早稲女と付き合っている」ときっぱりと断ればよかった。「口に合うかな?」とテーブルの上に無造作に置かれた箱の中に、六本木「アマンド」で買ったというイチゴケーキが二つ入っていた。 かっての偏狭的な彼女らしくないな。




                            気が向いたら続く

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