関西の四季を呟く

関西の四季や出来事を写真を交えてお届けします。

五臓七腑


 昭和中期から後期にかけて「ポケベル」という細胞が体内に「臓器移植」され、風呂に入ってもトイレにいても容赦なく鳴り響いていた。しかし今や「スマホ」という臓物が五臓七腑というように新たな細胞として増殖された。

 スマホは完全に体の細胞の一部になった感じがする。いつもシャツのポケットや、バッグの中に張り付いており、手を当ててそこになかったりすると一瞬、体の一部の細胞がもぎ取られてしまったようで気にかかる。




 体の細胞と感じる理由の一つは、それがプライベートな機器としていつも持ち歩いて、触る人は自分だけという絶対的な約束事がある。同僚の机に置かれたスマホが鳴り響いても「無関心」が常識で気にする行為は他人の体を触りまくるというセクハラと同じようなものだと感じ取る。



 私はたまに脳の一部と錯覚する。スマホ脳細胞には自分の歴史が詰まっている。しかるべきボタンを押すと過去のメールや写真が即座にに並べられ、スクロールすれば時間を超越することができる。たとえば、数年前の証しが、写真入りでゴールデン街やハチ公前の夕景となって見えてくる。それは、古い記憶をしまい込む大脳皮質の働きに似ている。



 カラダの一部、脳の一部という疑似感覚があるからだろうか、スマホは自身の細胞の一部と思ってしまいがちだ。が、自身専用なら無理もない。親しい二人がそれぞれスマホ細胞を介してラインやメールをやりとりするときは、ついつい気が緩む。「ここだけの話」という感じで、内心を打ち明けたり、だれかの悪口を言ったりする。



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 だが、そこにこそ落とし穴がある。スマホはやっぱり、体の一部ではない。絶えず誰かに覗かれていることを忘れてはならない。・・・・心を透視されていることを知るべきである。汗!!

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