後戻り出來ぬ履歴や走馬燈
晩秋の入り口に差し掛かると、普段はあまり気にかけない曖昧になった記憶を手繰り寄せながら、「こうして歳を取り、次第に衰弱して一生を終えるんだな」とペシミズム的な考えになり、他に思いつくことはないものかと思案するが・・・・やはり普遍な真理である。
己自身の感覚は質的なものであり、単純な感覚が刺激の積み重ねによって成立しているようで、人生そのものがフィクションで成り立っているように見えてならない。
時間は伸び縮みするのだろうか、一年がとても早く感じる。子供の頃や若い時というのはそうした事は一切感じたことはなかったが、年齢を重ねる毎に一年の尺度が短く感じてしまうのである。人生の「密度」が薄くなったようだ。
晩秋の秋の気配は孤独で何故かもの悲しい気分になってしまう。