愚痴る秋
揺るがない自己を確立したいという意識の一方で、人間として未完成な自分自身は時折煩悩に苛まれることがある。
そしてそれが尾を引いた時に自分を主観視して物事の本筋が見えなくなってしまうことがしばしあり、とても不安だ。
なにか、もやもやした霧のようなものが心の中に立ち込め、先行きや周囲が見えなくなってくる。こうなると自意識は危険と感じてしまう。
日常生活はもとより忘備録なるブログさえも続けることの意欲さえ薄れていくようで気持ちが落ち着かない。
さらに最近、それとは違う言葉にできない空疎感が体調を紛らわす。老後の生活不安と、避けて通れない老々介護が待ち受ける。
この歳になって繰り返す人格の崩壊に、人生とは楽園であるというような新進気鋭 とする出来事はないものだろうか?
老後問題など健康や金銭面での不安など長い間思い悩んでいたり、「自分もいつか袋小路で息が止まるんだろうか」と自問する。今の時代、こうした不安を覚える人は少なくないだろう。
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別意、私の偏見かもしれないが、歳を取ると自身は前向きに生きるための何かを掴もうと、支離滅裂なようでも、その行為の底に流れる切実さは自分のためにと慎重に慎重を重ね考える。
人生の旅をしながら千思万考 するのは、異なる価値観に出会うためだと確信する。
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コロナの最中ではあるが、ようやく仕事の見通しが立ってきた喜びに愁眉を開く思いを抱いた。
明日を期待したい。