関西の四季を呟く

関西の四季や出来事を写真を交えてお届けします。

ようやく春の兆しかも


 春陽の楊貴妃と厳冬の冬将軍の攻防もようやく区切りが見えてきたようだ。季節はいっぺんに変化するものではなく、一進一退を繰り返しながら、徐々に成熟していくものだろう。 
 内に蓄えていく陰の季節から、外に発散していく陽の季節へと変化するのがよくわかる今日であった。
 穏やかな夜明け、普段は平凡な風景ではあるが視線を振り向ける先には、無性に嬉しさが心の底から突き上げ、色鮮やかな花に彩られて豪勢な春色を演出している。 
 春本番とはいえないが、この調子で一気に春を呼び込む気配がするようだ。
 暮れていく空を背景に 春の妖精のように色鮮やかな花たちは 自画自賛に輝いていた。地面を這うように見上げると、夕日を受けた花びらは淡く金色に光り、風が吹くたびに花びらの隙間から黄昏が零れ散って、まるで絵画を鑑賞しているかのようだ。しばし見とれてしまった。
 政治資金、裏金問題などグレーなニュースの湿っていた陰気な気分が紅梅の香りにかき消され、明日からの日々の春和景明が楽しみである。

三寒四温


 冬眠から目覚めたかのように、ふとあたりを見渡すと明らかに自身が覚醒されてきたような虚像を感じる。何か月振りだろうかパソコンのモニターに映し出された自身の画像が目についた。
 私には、ささやかな公園の自然が、常に心のやすらぎ。「春、ど真ん中」がまじかに来ている木々の囁きさえ感じる。
 ざわざわとした微弱な成長音を聞きながら、「春の息吹」をながめる。目にするすべてが新しい感動の出会いである。
 燃えるような紅梅にはいつもメジロや鶯が止まっている。
何も言わない植物、昆虫だがそれぞれに精一杯の生命を送っている。
 こうした一つ一つの、見逃しそうな生き物との静かな対話と感動が、私の自然への畏敬の念を培ってくれたような気がする。