関西の四季を呟く

関西の四季や出来事を写真を交えてお届けします。

日本語は難しい

 ニュージーランドから日本語を学ぶために半年前に語学留学した友人がいる。京都・清水寺で道案内され知り合ったのだが、いまだに単語しか理解していないようだ。身振り手振りで英語を交えて意思疎通している。
 日本語を勉学するにあたって、彼の最大の難問は「四段活用動詞」だそうだ。例えば「風立ちぬ」「風と共に去りぬ」「夢去りぬ」のような日本の古典に頻繁に出てくる文法で躓いているらしい。



Gone with the Wind / 風と共に去りぬ 1939


「風と共に去りぬ」の去りは四段活用動詞【去る】の連用形だということを英訳「Gone with the Wind」の通りで、「ぬ」には、 ①打消しの助動詞「ず」の連体形と ②完了の助動詞「ぬ」の終止形 があるが、「連用形」に接続するのは、完了の助動詞「ぬ」だから、当然、問題になっている「ぬ」は完了の助動詞ということを説明するのに苦労した。


連用形である「去り」に「ぬ」がついた場合は「去ってしまった」 という完了の意味を表わすのですよと言っても到底理解ができないそうだ。


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少年の思い馳せるや走馬燈!


 昭和35年。・・夢去りぬ「霧島昇」。親父が好きな曲だった。母は、私が幼少のころ、肺結核で亡くなり私と親父の二人家族。俗に「父子家庭」。




夢去りぬ


「夢去りぬ」



  夢いまだ さめやらぬ
  春のひと夜
  君呼びて ほほえめば
  血汐おどる
  ああ 若き日の夢
  今君にぞ通う
  この青春のゆめ

  さめて散る花びら



  風薫るあかしやの
  青い並木
  君去りし あの丘の
  白いチャペル
  ああ トラピストの灯
  ああ 静かに消えて
  帰らぬ君いずこ
  今は唯思い出




 「夢去りぬ」・・・・いつも寂し気な孤独で口数の少ない親父を見て、夢が去ってしまったことなのか、まだ去っていないのか親父の心情を聞いてみたかったが、私が19歳の時、不慮の事故で亡くなった。45歳だった。人生には伴侶が必要と再婚を進めてはみたものの、私の心の奥底では「新しい家庭」というものを半面では拒否しがちで、「叶わぬ夢」であった。私としては悔いが残り、慚愧の念に堪えない。


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過ぎし夢は はかなく 消えて悲し、 今はただ 君がやさし 面影 むねにえがき 、今日もまた ギターを弾きて 歌うは 君がよく歌った あの歌 今もせつなくひびく。 恋の思い出よ 夢いまだ さめやらぬ 春のひと夜 君呼びて、ほほえめば 血汐おどる ああ 若き日の夢 今君にぞ通う この青春の夢も さめて散る花びら

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