若き日のときめき・・3
そんな些細なことで心が揺らぎ、私に距離を詰めてこられても迷惑気回りないし「早稲女と付き合っている」ときっぱりと断ればよかった。「口に合うかな?」とテーブルの上に無造作に置かれた箱の中に、六本木「アマンド」で買ったというイチゴケーキが二つ入っていた。 かっての偏狭的な彼女らしくないな。・・・・前回
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長文ですみません
再会を果たした私は、感覚的に以前のような生真面目で勤勉な態度と違うことを緘黙せる形勢一変した彼女の風貌の中に見て取れた。
私の憶測では受験勉強の緊張感から「合格」という急激な開放による一種の虚脱感というか、将来の展望に何を求めるのか自己判断の欠落した閉ざされた「孤独な存在」にしか映らないのだ。
受験のために費やした偏差値75の時間こそ彼女の存在であり、
緊張の糸が切れた学生生活に挫折からくる衝動で「学校が嫌になった。中退したい」という無意識の意識が「他力本願の心理的要求」という形で距離を詰めてくる彼女は私には存在しないときっぱりと教誨した。
あの日以来、気乗りはしないが頻繁に逢うようになった。何故か私と彼女という構図が耳の注意を振り向けるあらゆるところに「淫乱な関係」と噂になり、先輩や友人たちに会うたびに弁解と潔白を証明する羽目になってしまった。
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ある日、先輩たちが卒業し手薄になった所属している文芸サークルに彼女を誘った。
志を共にする同人雑誌サークルで、水上温泉に滞在する「川端康成先生」に面識のある先輩の主催する純粋な雑誌投稿サークルである。
勿論彼女の才覚が開花したきっかけが『早稲田文学』に掲載されたエッセーが証である。
記憶は定かではないが雑誌編集会議が終わり、「メモ書き」を渡したいというので、近くの喫茶店で夕食を済ませ、別れ際「また近いうちに」というと「たったそれだけ?」と彼女が問う意味が読み取れ無い訳ではないが「プラトニック精神学」の領域から脱しえない一種の「勇気」がなく、以前から友人に「君には社交性がないどころか、ある種の性格異常者の内面に依存している」と言われ、「これが私の性格です」としか答えようがないのである。
しかしながら一方では、亡き母親の写真と彼女とが重複してしまうのは何故なのだろうか、周章狼狽するようで気持ちが揺ぐ。不思議だ。
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メモには
「やは肌の あつき血汐にふれも見でさびしからずや 道を説く君」・・・晶子
と書いてあった。当時は連絡手段に手紙や交換日記しかなく、すべてが記録されて恥ずかしくなってしまった。
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自身の生涯日記のページをめくると
「君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」・・・・白秋
・・・・・・・・・・・・・・・なんとなくではあるが機会があればそう返書したい。
とあった。覚えていないな!!半世紀も前の記憶はうすぼんやりとして幼稚だ。