関西の四季を呟く

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風見鶏

 北京オリンピック開催まであと二週間だというのにオミクロンが猛威を振るい、行く手を阻む。
 そのような境地の中、いま中国に対し人権問題が波紋を呼んでいる。中国政府による新疆ウイグル自治区の少数民族ウイグル族への弾圧が最大の理由であろうか、国際的に非難が集中し「中国にプロバガンダ(政治宣伝)上の勝利を許してはならないとして外交的ボイコットする国が欧米諸国「人権団体から次々に上がっている」で目立っている。




 一方、日本は中国に対しては友好的な態度ともとれる発言をしたかと思えば、アメリカに対しては同調し,
あいまいな見解で国としての責任回避の方向で、国家としてはとりあえず国賓を送らない方針らしい。



 習近平主席の威信をかけた北京オリンピックの取り扱いを「国が判断」すべきだとか「同盟国のアメリカに従うべき」とかとで、責任を擦り付けているように思えてならない。まるで他人事の様だ。結論をしいて言えば中国からの「制裁」が怖いからだと推測する。
 正直言って政権の存在がぼんやり霞がかかって見えてこないと感じた。
 そこには責任の所在をどこに置くのかが「結果」というストーリーに翻弄されているようだ。




 日本語は、閉じた集団の中であいまいに合意を形成するのにはとても都合の良い言葉だ。

 半面、無責任な言語でもある。例を挙げれば、「阿吽の呼吸」「暗黙の了解」「空気を読む」など外国では到底理解しがたい。 
 明確な発言をすると、責任がついてまわるとされるからだ。昔から日本人は、責任の所在を分散させて、問題が起きたときに誰かひとりが責めを負うことがないよう配慮してきたという。


 ある問いかけに対し、「どちらでも良いですよ」とか「お任せします」など、自意識のはっきりしない人は、結果としてマイナスイメージが発生した時に必ず問いかけ者の意向に「同意しただけ」と責任を回避してしまう。
風見鶏国家「日本」が暴露されているではないか。

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