冬眠?
長生きすることは本来、大変ありがたい話である。しかしながら、それ等すべて良しというものでもないと思う。
長生きすること自体、不安の源泉になってしまうことは確かであり、働き盛りの若者がその不安を背負っていかなければならないことに不条理すら感じてしまう。
その反面、重篤な疾患やコロナウイルスなどの感染を避けたいとする願望は人一倍強く、「今日も何となく時代に流されて生きてきた」「明日もなんとなく時代に流されて暮らしたい」とする本音と建前が相矛盾する不安定な精神に真理を探ると「無秩序の塊」だけが残ると気づいてしまう。空転の煩悶というところだろうか。
私は近い将来、たぶん2~3年の後には生活、健康、環境などに不満を抱き「平均寿命」よりも「健康寿命」なる壁に辟易して黙り込むことは間違いない。喜ばしい「長寿」が「不幸」になる可能性が高い。
医療費や介護費などの出費が増える一方で、年金制度は先細りすることが確実視されており、高齢者の生活はより一層、困窮する恐れは確実視されている。
北欧諸国のように国民に対する老後問題を重視する政府の対応を日本政府に求めたいが、現在の政権では軟弱でそんな余力はないだろう。
春が待ち遠しい!
季節の変化とは緩んだと思えば厳冬に逆戻りする。物事を普遍的に見定めるならば概して好事は一辺に進むものではなく、このような一進一退の傾向を呈しながら徐々に成就していくものであろう。
冬将軍が猛り狂う最中ではあるが、時の流れは一時たりとも滞ることなく、着実に春の入り口に近づいていくのである。