家内が入院
家内が「下肢静脈瘤」の手術で一日入院。私が仕事中に病院に出かけたようで駐車場に車がなかった。玄関を開けるとテーブルの上に綿密に計算されたプログラムが用意されていた。
帰るや否や、真っ先にベランダに干してある洗濯物を取り入れる作業だ。狭いベランダから取り入れる毛布などは結構これが厄介である。
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トイレの掃除。メールチェック。風呂掃除。洗濯物の乾き具合などなど、てんやわんやの専業主夫だ。
晩御飯は冷蔵庫に用意されているとメモがあったが、面倒くさいので3分待つ「カレーヌードル」で済ませてしまった。
近い将来年老いて、いずれはどちらか一人になるであろうが、私が残ったところで生活ができるか心配になってしまった。
普段は・・・
私の朝は一杯のコーヒーから始まる。朝6時半になるとタイミングを計ったかのように襖を開ける音とともに、枕元に置かれるブラックコーヒーは少しだけ身を乗り出す手の届くところに置かれていた。
夢の途中だろうか、目に見たものを目を閉じてから再度思い浮かべ、瞼の内側に映った像の方を選択するような現実の目の前のただ一つしかない確乎たる輪郭を覚え、「唯一そこにしか占めることのない空間と次第に視野が開けてくるような眠り」からようやく覚めてくるのである。
そして、コーヒーカップとソーサーの擦れる音にスプーンが「カチャリ」と共鳴する。それはまるで一日の始まる合図であり、目覚まし時計のようだ。
しかし、いつ頃だろうか、少しだけ身を乗り出さないと届かない位置に置かれるようになった。
そして最近では完全に布団から身を乗り出して厚手のカーテン越しにほんのわずかな隙間から薄明を迎えながらでないと飲めない一杯になってしまった。
体を揺すってもらわないと起きられないほど朝がつらい歳になってしまった。
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明日一日ではあるが、一人で起きられるか心配である。そう考えると眠れそうにもないな!汗!!